久しぶりのブログらしいブログ。
今回の文章は、父が亡くなった昨年の夏に、フェイスブックに投稿したものを修正して掲載しています。
父は介護らしい介護をする間もなく亡くなったので、今回のお話は介護のことではありません。
ツイッターでも書いたのですが
父が亡くなる前、最後に病室を出るときかけた言葉が
「お父さん、ありがとう」
でした。
久しぶりの投稿。前回の投稿後すぐ父が亡くなりました。
最後のツイートで父の目を見てありがとうと言えたらいいなと書きました。
生きようとしている父に言うには別れの挨拶のようで、目は見れなかった。言うだけ言おうと「お父さんありがとう。ありがとうね」と何度も言って病室を出ました。
— どん底ちゃん(ユウコ) (@donzokochan873) August 8, 2019
それが父との最後でした。
どん底ちゃんサイトやツイッターで人のために書こうとした事が、自分を助けてくれたなと思います。
発信や投稿してなかったら、鏡の法則を実践して親を許そうとか、生きてる間に父にお礼を言おうとか、頭で思ってもも実行できなかったと思う。うん、良かった。
— どん底ちゃん(ユウコ) (@donzokochan873) August 8, 2019
アル中だった父。
一晩中死ねと叫ばれて、記憶喪失になり、引きこもりになったこと。
母に背を向け、私たちに母を押し付けていたこと。
それは、父と私や家族人生の中の、ほんの1ページだったのです。
他のページには、
家族のために一生懸命働いてくれた父
自分が貧乏をしたから、子供には一流のものを与えてくれたこと
疲れればおぶってくれた背中
面白いことと新しいことが大好きで
家族全員が生まれて初めて見たCDをパッケージから外せずに叩き割ろうとしたしたこと
当たり前に思えた
皆が笑い合った
日常もあったのです。
私が父に最後ありがとうと言えたのは、
このサイトで「私もやってみる。みんなもやってみよう」と語りかけていたから。
宣言したからにはやらねば、とかけた言葉が、別れの言葉となりました。
そして私の行動は、思わぬミラクルを生んだ、ような気がするのです。
よかったら、読んでみてください。
父の死、花の咲く庭

父が亡くなり、四十九日の法要をしてきました。
我が家のお墓は、**寺にあります。祖母が亡くなる前に「富士山が見える場所にお墓を建てて欲しい」と言ったことからできたご縁です。
今ではお寺と檀家の関係なんて無くなりつつありますが、ウチの家族は案外ご住職さんに、それぞれが悩みを打ち明けながら来ました。
私は祖母亡き後(亡くなったのは中学生の時です)大きな後悔をして、ひとり悩んでいました。ひどい嫁姑の争いがあり、母が祖母をとても嫌っていたため、祖母の話は禁句のような所があり、祖母亡きあと一度も思い出話をした事がありません。
しかし、母が嫌ったからといって、自分も祖母に優しくしなくて良かったんだろうか。
戦争を生き抜き、働く女性として褒賞をもらうほど頑張った人だったのに、5人家族の中で、祖母は孤独な晩年を過ごしたのではないだろうか。そんな懺悔を、二十歳のころ聞いて頂きました。
この時の後悔があったので、父が亡くなる前に、いま自分が出来ることはみんなして別れようと思っていました。それでもなかなか感謝を口にするのは難しく、口にする事で父が「もう別れの時なんだ」と生きる力を失うのではないかとも思いました。
さいごは突然亡くなって死に目には会えませんでしたが、最後に病院を訪れた時、父の手を握って「お父さんありがとう」と言って部屋を出たんですね。私が話しかければ必ず反応をしていたので、声は届いたはずです。
その数日後、突然起き上がっておしゃべりを始めた父が、姉の手を取って「ありがとう」と言ったのだそうです。
父は、社会人としては立派な人でしたが、家庭人としては破天荒な所がありました。
私は自分でわだかまりを解消したし、母は夫婦なので迷惑はお互い様とも言えます。
ただ、姉は最後まで父を嫌っていました。相当の理由があるのです。なので、父が姉にお礼を言ったことは、自分が言われるより嬉しかったです。亡くなる前日のことでした。
四十九日は家族のみで行いました。
「私」と「母と姉」の間には目に見えない壁があって、私は2人の話を聞く事はあっても、自分の心の内を話す事はあまりありません。2人だって、私に深い打明け話をするわけではないでしょう。
それが、ご住職さんを挟む事で、父について色んな話が出来たのが良かったです。
20代の頃、私は実家を伏魔殿のような場所だと思っていました。本当に色んな事があったのです。けれど実家は比較的裕福だったので、色んな経験をさせてもらいました。
キチンと教育を受けられた事。
色んな国に連れて行ってもらった事。
春は梅と桃、木蓮や球根の花が咲き、初夏は紫陽花のほか、庭のシソで母が梅干しを漬けてくれました。あれ以上の梅干しには出会った事がありません。
夏野菜は1日で信じられない大きさになり、
秋には柿が実る。
それを家族で収穫して庭に吊るし、
冬に干し柿にして食べる。
一年中青さを保つ松や垣根が目を楽しませてくれる。
それは誰もが経験できる事ではなく、本当に感謝すべき事でした。
振り幅が大き過ぎただけで、愛はあったのだと、振り返りました。
写真はお寺の中にある池で、、実家ではありません笑 色々あって、今は小さな家で、母や姉たちが暮らしています。皆が元気なら充分です
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最初に書いたミラクルとは、父が姉にお礼を言ったことです。
父は重度の精神病になった姉にひどい言葉をかけ、亡くなる数週間前にも、母や姉を否定するような小言を言っていました。
父は私には多少素直なところもあり、私の記憶喪失とお酒に関しては、少しは反省していたようでした。一度も父を責めず、最後にお礼を言ったことが、父が姉に感謝を伝えるきっかけの一つであったなら、こんな嬉しいことはありません。
思い出話に付き合ってくださり、ありがとうございました。
