プロフィール

自己紹介

どん底ちゃんと申します。
 

40代、躁うつ気質の主婦です。
 

「躁うつ」とは、鬱状態(低いテンション)と躁状態(ハイテンション)が交互に現れる精神的な症状です。私の場合は長い鬱状態の間に短い躁状態が起きる、双極性障害Ⅱ型と診断を受けました。
 

20歳から15年以上の通院をしましたが、子供の頃からの鬱だろうと言われています。精神科に定期的に通院しなくなって7年、服薬をやめて9年経ちました。
 

これまでうつ病・双極性障害、統合失調症の可能性も指摘されましたが、現在は「何の病気でもいい」「幸せになればきっと治る」と信じて、病気というより「気質」と考えるようにしています。
 

また、このブログを始めた時は、夫婦関係に悩み、自立を目指してweb制作の仕事をしていた主婦でした。
現在は小学生の娘と2人暮し(+猫)をしているシングルマザーです。
 

一番最初の投稿「はじめまして、どん底ちゃんと申します」で、自己発信を始めた目的を書いたのですが、このページでは特に自己紹介に焦点を当てながら、
 

体の弱い自分でも子供を養い生きていくためにひとり起業をして、
 

占い嫌いだった私がなぜ占い師になったのか。
 

生い立ちにとこれから叶えていきたい夢について書きました。
 

長い文章になりましたが、最後までお付き合いいただければ嬉しいです。
 

生い立ち

毒親,家族,どん底ちゃん

両親と父方の祖母、姉、私の5人家族の中で育ちました。
 

実家は、外から見たら幸せな家族に見えたと思います。何か事件が起きたら「仲の良いご家族でした。信じられません…」と近所の人が証言しそうな家族です(苦笑)
 

父は大企業に勤めていて、更に不動産を持っていましたから、比較的裕福な家庭で育ったと思います。
 

しかし、両親はいわゆる「毒親」な人たちでした。毒親にも色々ありますが、我が家は”過保護過干渉”系です。
 

私は「毒親」という言葉があまり好きではありません。自分も親となり、両親のことが理解できるようになりました。
 

それに子育てをする中で、今度は私自身が毒親という言葉に脅かされるようになったからです。ただ孤独だっただけで、親にも愛はあったのだと思います。こう言えるようになるまで、長い時間がかかりました。
 

「毒親」という2文字で状況を伝えられるのと、同じ悩みを持つ人が見つけやすいよう、記号としてしばらくは使っていきます。
 

特に母による支配が激しかったのですが、父も病院に行けばアルコール中毒と診断された人でした。
 

母は時に怒り、時に脅し、それでも思い通りにならないと奇声をあげ狂人のふりをしてでも支配してくる。父は癇癪がひどく、密室で何時間も罵倒されたこともありました。
 

ただ、父は仕事が忙しかったので不在がちでしたし、争いを避けるため基本的には寡黙。カウンセラー信田かよこさんが使う”石像の父”(目の前で起きていたことを見ておらず”知らなかった”と言う)という表現にはまる人でした。
 

毒親家庭の話ではよく救いになる”優しいおばあちゃん”が出てきますが、祖母は家族の中でいちばん厳しく正しい人でした。
 

「渡る世間は鬼ばかり」というテレビドラマに既視感を覚えるような、嫁姑問題がありました。今になって振り返ると、祖母の正しさを私は嫌いではなかった気がします。しかし、仲良くすると母が悲しむので、全力で嫌っていました。
 

姉とは歳が離れているので、私が小学生になる頃には一緒に遊ぶことも無くなりました。
 

ひどくいじめられていたわけではありませんが、なんとなく学校に行くのが嫌でした。保健室に行ったとバレると後で母に叱られるので、教室の中でよく空想をしていました。

うつ病,生い立ち

小学校時代の記憶は薄いです。辛かったのでしょう。家庭にも学校にも居場所はなかった。小学1年生から両親の夢を叶える形で本格的にピアニストを目指していたのですが、師事していた先生に
 

「あなたなんてどんなに頑張っても2流のピアニストにしかなれない」
 

と言われ、9歳でピアノをやめました。家庭にも学校にも居場所がなく、第三の世界も消えた瞬間でした。
 

「ピアニストになれない自分なんて存在価値がない。きっと両親は私にガッカリしただろう。もう両親から愛される理由がなくなってしまった」と感じた事が、一番悲しかったと思います。
 

中学時代も悶々としていましたね。
 

中学2年生の時、祖母が亡くなったのですが、祖母の死後「母と仲が悪かったとはいえ、どうして自分まで祖母に優しくしなかったのか。戦後の時代を強く生きた祖母なのに、家族と暮らしながら孤独の中で亡くなったんじゃないだろうか」という疑問がわき、後悔の念が日に日に強くなっていきました。
 

青春期に入っていく段階でしたから、

死ぬってなんだ、
生きるってなんだ、
愛ってなんだ、
本当の優しさってなんだ!

と考えるようになり、元々好きだった文学の世界に深くハマっていきました。日本のロックも好きです。
 

母は昔から新興宗教の集まりに顔を出すことが多く、子供を連れて行くことは少なかったですが、いろんな団体を渡り歩いていました。
 

高校時代、私の同級生の親に誘われて新しい宗教団体の集まりに行くようになりました。母の母(私にとっての祖母)も宗教に縁が深く、母は子供の頃から連れまわされたのが嫌で「子供は巻き込まない」と決めていたそうです。なので、いわゆる宗教2世の苦労とは違うかも知れません。
 

高校2年生の時、母が教団の教えのようなものを叫びながら狂ったようになり救急車で運ばれていきました。
 

その日の朝から母の様子はおかしく、私と姉で母を助けようとしましたが
 

「あんたじゃない!助けて欲しいのはあんた達じゃない!出てい行け」
 

と叫んでいました。母が助けて欲しかったのは父でした。子供の頃から、自分を殺して母を支えてきたのに、母が愛しているのは父なんだと衝撃を受けました。それでも父が母のそばに行くことはありませんでした。
 

この頃から、「なんとなく辛い」「たまに死にたくなる」から「毎日が辛くてたまらない」に変わりました。
 

朝起きれなくなり、ちゃんと家を出てもまっすぐ学校には足が向かず、コンビニで立ち読みをしたりベンチに座って空を眺めるようになりました。隠れてリストカットも始めました。リストカットなんて言葉もなかった時代です。真面目な優等生タイプでしたから、誰にもバレてはいけないと、傷跡は隠していました。
 

宗教と同じように母が盲目的に信じていた(ように見えた)ものが占いでした。
 

母はどんな風に振舞っても思う通りにならないと、これ見よがしに大声でお祈りを始めたり、勝手に私の占いをして結果を見せてくる事がありました。
 

今思えば私の被害妄想的なところもあって、母は自分自身のためにやっていたのかも知れません。しかし、
 

「あなたのために占ってきたのよ。未来は〇〇なんですって。安心ね」と言われるたびに、今の自分はダメなんだと否定されているように感じました。
 

子供の私が目にする占いは雑誌の1コーナー程度だったので、「当たってないじゃん」とすぐに本を閉じました。占いを頼る心が嫌いでした。
 

大学生になると親の監視の目は緩くなりました。ちょっとした大学デビュー?で友達と陽気に話せるようになり、大学入学からの2年間は楽しかったです。しかしどこか生き辛さは残っていました。
 

20歳で摂食障害になり、食べ物を食べては吐く日々がはじまりました。自分で病院を探しうつ病と診断されましたが、友人にも家族にも言えず、アルバイトをしながら大学を卒業。就職して一人暮らしをしました。
 

人生は自分の力で切り拓くものだと思っていました。
 

苦しい中でもあきらめず、卒業論文を書き上げた日の達成感は今でも覚えています。

達成感,自己紹介

その後正社員として働き、秘書や経理の仕事をしましたが、摂食障害を抱えながら働くことが難しくなり退職。3年ほどで実家に戻りました。
 

そこからはどんどん体調が悪くなり、現在は処方が禁止されたリタリンという合法ドラッグを服用して生き延びていた時期もあります。
 

27歳のとき酒に酔った父親から一晩中「死ね」と叫ばれ続けたことで、前日の記憶を失う解離性障害となります。「自分の記憶がない間に人を傷つけていたらどうしよう」と、1年ほど家から出られなくなってしまいました。
 

昼夜逆転の生活で前日から起きていたある日の明け方、新聞配達のバイクの音が聞こえ、あぁまた朝が来てしまったと思いながら窓の外に目をやると、空が茜色のようなキレイな赤色に染まっていました。
 

「キレイ・・・」
 

と口にした瞬間に、美しい空を見ている・・・見すぼらしい自分なのか・・・何なのか・・・理由の分からない涙がボロボロと流れてきて
 

「あぁ、ここが世界のどん底だ」
 

と思いました。
 

実際、あんなに辛い時は無かったですね。動いている時に抱える問題には打開策がある。人に相談にも行ける。けれど、家から出られずに抱える問題の先に見えるのはひとりぼっちの暗闇でした。
 

”いま、自分は最悪の場所にいるのだ”と認めた後から、少しずつ人生が変わっていきました。

転機

毒親,自立
大きな転機が訪れたのは、30代で結婚・出産をしたこと。
 

うつ病から完全に回復したわけではなかったので不安もありましたが、薬を可能な限り減らして妊娠。待ち望んだ赤ちゃんの誕生は本当に嬉しかったです。子供を産んだという事実が自信になり、母としての強さも生まれました。
 

子供が生まれる数日前のこと。「この子は何日に生まれたら、どんな性格になるかな?」と遊び心から、インターネットで誕生日占いを見始めました。
 

しかし、ただ日付を追っても当たっているかわからない。それで、自分や家族について調べ始めたのです。
 

無料のサイトでしたが、自分の誕生日を見ると、今まで言われたことがない、しかし当たっている事が書かれていました。そのうちの一つが
 

「あなたは風変わりな人です」
 

という一文でした。
 

自分で言うのもなんですが、言い得て妙というか(笑)
みんなが当たり前にできる事が出来ない事がコンプレックスの一つでした。私に見るからに変なタイプではありません。それどころか、ごく普通です。
 

それは、長い時間をかけて、普通を研究し、普通に見せるための努力を続けたからです(苦笑)親が常識人だったのもあると思います。
 

しかしこの一文を見て
 

「風変わりに生まれたんならしょうがないか」
 

と開き直ったとき、心がすーっと落ちついて、「そういう(風変わりな)自分として、これからどう生きれていく?どうすれば幸せになれる?」という新しい目線が生まれました。
 

その占いサイトには、9歳でとても悲しい出来事にあい人生の方向性が変わること、家族の問題に苦しむこと、39歳に2度目の転機があると書かれていました。
 

9歳というのは、私がピアノをやめた年でした。その他の項目も含め心当たりがたくさんあり、「なんか分からんけどすごい。39歳までに人生の目標を見つけよう」と心にとめました。それから数日後に娘が生まれました。
 

このとき見たサイトは、ブックマークしたはずなのに、その後見つけられなくなってしまいました。
 

数年後、いろんな問題に悩んでいた時、この日の事を思い出した事がきっかけで占い師を目指すのですが、
 

人生には、目に見えない大きな力が働いているのかもしれない。
 

目に見えない力を信じてみよう
 

超現実派だった私が、自然でも運でも天でも神でもいい。目に見えない世界を信じてみようと思ったことが、私の人生に大きな影響を与えたと感じています。

悩みの生まれる場所

nayami

占いや相談ではどんなお悩みも聞くのですが、結婚・家族・ビジネスの3つは、特に力を入れている相談です。
 

これらは私自身が経験した苦しみであり、人の悩みを解決する本質につながっていると感じています。
 

まず。
仕事と家庭の悩みはつながっています。
 

どんなにお金があっても、孤独なら幸せじゃない。仕事に悩みがあればプライベートもうまくいかない。職場の人間関係がうまくいなかない人は、パートナーシップもうまく築けません。
 

人の悩みというのは、突き詰めるとすべて「人間関係の悩み」です。
 

お金の悩みに見えても、それは職場での人間関係の悩み。病気の悩みも、病気を抱える自分と周りの人々の反応の悩みです。
 

どうして人間関係に悩むかといえば、生まれ育った家族に問題があるからです。もっと言えば両親の関係、育ててくれたのが親でなくても、養育者との生育歴の問題です。
 

親に大切にされずに育つと、子育ては上手くいきません。親のようにはならない!と決めても、基準になる子育てがヘンなので、その逆をやってもヘンなのです。
 

子育てを手伝ってくれる人がいれば良いですが、自分からは人にうまく頼れません。人間関係のやり取りが下手だからです。
 

本当の自分を隠して生き、自分が何者なのか、自分でもわからなくなっています。
 

苦しみをパートナーには言えません。自分の気持ちを説明できないし、嫌われたり怒られるのが怖いからです。それで表面的な文句だけを言います。パートナーには愛想を尽かされてしまいます。
 

パートナーもまた忙しいです。朝早く起き、満員電車に揺られ、残業をしてクタクタです。疲れた体にムチを打って家事をしても、”やり方が変。まだ足りない”と責められます。
 

会社では神様のお客様や、ストレスを抱えた上司に叱られます。
 

怒りは強い者から弱い者へと流れます。
 

一人の男性がいたとしましょう。上司にストレスをぶつけられます。それを持ち帰って家で妻にストレスをぶつけます。妻はそれを子供にぶつけます。最後にもらった子供は、学校で他の子をいじめるか、誰にもぶつける相手がいなくて一人苦しむことになります。
 

家族の問題を家族の中でだけ抱えきていると、人とうまく関われない子供がうまれます。
 

悩みの根源は家族にあります。
 

関係が悪化した夫婦の場合、離婚を選んだ方が幸せなこともあります。
 

自分自身も、もうやり直せないところまで来てから「結婚前にこれを知っていたら」と思う事がたくさんありました。
 

これから家族を作る人達に、幸せな結婚生活を送って欲しい。愛情の中で子供を育てて欲しいと願っています。
 

また、これまで自分のことばかり考えていたな、親もツラかっただろうなと思うのです。
 

アル中になりながら働き、家庭では淋しいまま亡くなったのかも知れない父のような人の、
 

愛を求めながら、孤独と不安のなかで荒ぶっていた母のような人の、
 

悩みを解決することで、その向こうにいる子供達を守りたい。
 

そう思っています。
 

私の人生には家族問題以外にも悲しいことがありました。色んな、サバイバーでした。
 

占いを通して、本当の自分に出会い、向きあうべき課題を見つけ、明るい未来に向かって歩いて欲しい。
 
答えの出ない苦しみを抱えている場合もあるでしょう。そんな時は、自分を否定しない誰かに話を聞いてもらうだけでも気持ちが楽になるものです。
 

いつかは占いが必要なくなる、ちょっとやそっとの運勢に振り回されない”無敵ゾーンへ導く”ことが理想です。
 

私自身もまだその場所には至っていません。子育てでは悩みや失敗ばかりです。だからこそ、あなたの悩みがわかるし、良くなりたいと学び続けています。

自分の使命と未来からの時間

占い,どん底ちゃん
占い師になって感じるのは、占いは自分の天職だということ。
 

昔から、勉強することが好きでした。勉強することがお金になるなら、そんな幸せなことはないと思っていました(好き嫌いが激しいため、優秀とは違います 苦笑)
 

占いは、ひとつ極めるだけでも大変ですが、複数の占いを学ぶことで精度が上がり、色んな悩みに対応できるようになります。幅広い悩みに応えるためには、幅広い一般常識が必要です。
 

子供の頃からお節介でした。お節介だとわかっていながら、黙っていられず余計なことを言って、嫌われたのではないかと不安でした。
けれど、私を頼ってきた人へのアドバイスならお節介も喜ばれます。
 

人の印象を素直に話すと「家族以外の人に言われたことがないけど合ってる!すごいね」と言われることがありました。
 

自分にスピリチュアルな能力があるとは思っていません。けれど、自分の身に多くの不幸が降りかかったことで、次の不幸を避けるために瞬時に人を判断する能力がついたのではないかと思っています。
 

占い師になる前は、web制作の仕事を1人でしていました。経営者の視点を持とうとビジネスを学ぶ中で
 

「時間は未来から過去に向かって流れている」
 

という言葉に出会いました。
 

あなたが何者になるかは既に決まっている。そのためのチャンスや、経験や、時には試練が与えられ、”天職に出会ったとき全ての過去がつながる”という考え方です。
 

この逆転の発想に出会ったとき、わかる!とワクワクする自分がいました。
 

家出を繰り返していた母に捨てられたと感じたこと、

 

「いつかあの家を出て2人で暮らそう」と姉が手を握ってくれた5歳の夕焼け、


親からの支配の日々、


初めて死にたいと言葉にした10歳の夜、


本が親友だったこと、


病気に苦しみ、暗闇で過ごした長い孤独、


今思えば「人生の悪運期」に入社した会社での神経が擦り切れるような時間


同時に「経営とは何か」を全力で伝える現場に立ち会えたこと


記憶喪失になり引きこもりになったこと


結婚し、子供が生まれ、運勢が大きく変わり始めたこと


夫の浮気に悩み、病気とはまた違う暗闇を知ったこと


悲しみに追い打ちをかけるようにお腹の子供を失ったこと


お金の不安から耳が聞こえなくなったこと


離婚を決め、自宅でひとりで出来る仕事を見つけて形としては「起業」したものの、動かない体、1円も稼げない毎日、家事も育児もやってもやっても誰にも褒められず、何の涙だかわからない涙を流しながら自転車で保育園に向かったこと

その他にも、まだ生きている母や、子供への影響を考えると今は書くことができない経験があります。自分の不幸はいつまで続くんだろうと思っていました。
 

けれど、全ての苦しみが、人の痛みを理解するために与えられた経験なんだと思うと、乗り越えてきた道のりは暖かく、懐かしい思い出です。
 

人を恨む気持ちもほぼ無くなりました。
 

悩みを抱えた人には、たいてい”恨んでいる人”がいます。
 

ひどい苦しみを経験したのだと思います。到底許すことのできない経験です。
 

「同じ経験をしてアイツを許せる人なんていない」という経験を越えて、相手のためじゃなくていい、その恨みを手放す事が、自分の幸せにつながっている。
 

同じ思いをした私の言葉なら、耳を傾けてくれる人がいるんじゃないかと思うのです。
 

使命に沿って生き
 

一生学び
 

人生を尽くそうと思っています。
 

後々は、事情があって外で働けない人達に仕事を頼めむなど私なりの社会貢献もしていきたい。色んな方のお知恵をお借りしながら、
 

今の自分のままでお金を稼ぎ、
笑って暮らす。
娘と2人ぼっちにならず、人との繋がりの中で生きていく道を探ろうとしています。
 

鑑定は

【オンライン鑑定】
電話/LINE電話やzoom等のアプリを使ったオンライン鑑定:1時間5000円

または

【占いカフェ】
毎週火曜日・都内(東久留米)でカフェを開いています。気軽に占いを受けていただけるよう、ドリンク、占い、共にワンコインです。

あなたの人生にふれられることを楽しみにしています(^-^)

▼個人鑑定▼

 

▼占いカフェ▼